環七の土佐っ子を私に語らせると長くなる。
ムーンウオークで店内に入りムーンウォークで店を出る。
冗談ではなくそんな油でドロドロの床の店だった。
人は幾重にも店を取り巻き(店は壁はなくすべて引き戸でそれがいつも全開であった)赤の白の箸を待つ。
いつも夜遅くまでイヤ明け方まで50人以上並んで待っていた。
背脂ラーメンの元祖的存在。
作り方は乱暴で10杯以上を一気に作る。麺もいっぺんに煮る。量の均一性はお構いなし。大盛りであったり小盛りであったり。
誰も文句を言わず黙々とブロイラーの如く並んで食べる。
器を並べる、出汁の醤油を乱雑に入れる。科学調味料を振る。背脂を大量に振る。いい加減に麺を入れる。
麺が醤油まみれになる。スープを入れる。背脂をもう一度振る。具を乱雑に載せる。出来上がり。
「赤い箸お持ちのお客様」 箸のおしりが朱色に塗られた箸を持っている十数人に一気に配られる。
次のロットの色の塗られていない箸を握り締めている客は生唾を飲んで見守る。
これを食べたあと、いつも嘔吐感に襲われる。もう二度と来るかといつも思う。しかしいつも翌日来ていた。
30年近く昔の話。
大盛況の「土佐っ子」も商標問題から「下頭橋ラーメン」と名を変えたあたりから、客足は遠のき始め、
ついには環七から姿を消した。
その後散発的に「土佐っ子」名でポツポツと亜流が店を立ち上げたようだが、どこもあの「味」は出せず消えていった。
いやまだ残党がいるかも知れない。
しかしその正真の末裔が常盤台にあるという。いつかはとチャンスを窺っていたがその日がやって来た。
「下頭橋ラーメン」 土佐っ子の血を受け継ぐもの。
空いていたせいか作り方が凄く丁寧。昔の野蛮さは消えていた。しかし醤油まみれの麺や塩っ辛いチャーシュー、シナチク、輪切りの卵、多めのねぎ。どれも昔のままだ。
それもそのはず、オリジナルの下頭橋ラーメン(土佐っ子)をたたんだ本人が立ち上げた店だった。
懐かしい味、食後の懐かしい嘔吐感。しかしもう昔のように毎日は食べられない。
ありがとう土佐っ子。
万歳5000Kcal!